真面目に働いても評価されない

モチベーション低下

働いている人にとって、自分自身の仕事はどれほど評価されているのか、この点はやはり気になる事だと思います。

評価のために働いているわけではなくとも、人からどう見られるのかはどうしても気になるものではないでしょうか。

同じ社内での評価に苦しむ人もあれば、同年代の知人の動向が気になる方もあるでしょう。

まじめに働いても評価されていなかった

世のなかは、時に、またしばしばよく理不尽なこともあるものです。自分自身一生懸命働き、会社に貢献していたのに、別な人の方が早くに昇格したり、注目されることも多々あるのではないでしょうか。

会社のために、身を粉にしていればいるほど、このような時に生じる気持ちは強く怒りさえ帯びても不思議ではありません。

 

目立つ仕事、派手な人

これは、世のなかの常とも言えるかもしれませんが、どういうわけか、世間は目立つ人や派手な人の方に注目しがちです。

会社で言えば、大きな予算が動く仕事、会議での発言の多さ、目に見える利益など、わかりやすいものと言えばよいでしょうか。残業時間が長い事が美徳とされたこともありました。

また、社会に出れば、家を建てたとか、年収が幾らなどということが話題にのぼります。

会社では控えめで、給料は安く、時々発言をして黙々と働き、プライベートでは地味で、ワンルームのアパートに暮らす人もたくさんおり、その人たちの中に、良い仕事をしていることはたくさんいるはずです。数で言えば、圧倒的にこちら側の人の方が多いはずで、陰ながら組織や社会を支える存在と言えないでしょうか。

もしかしたら、そのような事は重々承知で、社会を冷やかな目で既に見ている人もいることでしょう。芥川龍之介の杜子春のような心境の人もあるかもしれません。

この気持ちをどう収めるのか

ですが、やはり、理不尽さから生じる怒りや無念さは無視できるものではありません。

無理に怒りを収めるのも、益々報われないようであり、また、簡単には収められそうにありません。

理不尽なことをどう捉えたら良いのでしょう。

その人その人で着地点はおそらく異なる収め方になるのだと思います。ある人は、認められずとも、いい仕事をやり続けようと考え、ある人は、どうせ評価されないなら、今後は手を抜いて行こうと考える人もあるでしょう。

また、もう少し別な意味を感じる場合もあるかもしれません。塞翁が馬でも触れていますが、評価などされなくて良かった、という着地点すらあるように思うのです。しかし、人によっては最も受け入れがたい着地点と言えるでしょう。

自分なりの着地点を探すならば、これまでどんな思いで仕事に勤しんできたのか、その一連の流れをくみ取るような作業が意味を成すのかもしれません。

参考:別サイトになりますが、下記もご参照下さい。